2012年1月16日 星期一

「粉乳中毒事件史の現在---森永問題とは何か」の連載が始まります。

1955年8月24日、新聞紙面に登場する「森永ヒ素ミルク中毒事件」は、大量の死傷者を生み出した先の大戦から解き放たれた人々の世代的「希望」を、再び生命の萌芽という次元から打ち砕いた点で、二十世紀に生まれた全体主義を戦後的に展開せしめた典型的事例だと言えます。食中毒から、いわゆる「食品中毒」への飛躍を齎したファクターは、わたしたちの「生」を標的にする点で原初的であり、発生から数年間は被害者の「全て」が法的な意味での行為能力を有さない点で全体的であるからです。恰も、その後の「次世代」への影響を問題化する水俣病や、カネミ油症の出現を予見するかのように、森永ヒ素ミルク中毒事件は、被害者とその親が「同世代」であることを以って「食品中毒」事件史の冒頭を飾っているのです。

  本論は、未だに新聞や法律の専門誌が見てみぬ振りをし、全く取り上げようとしない、ある損害賠償等請求事件への接近を通じて、粉乳中毒事件が抱えている問題が何なのかを考えて行きます。

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