2014年6月26日 星期四

無垢箸は割り箸に翻訳され、そして免洗筷となる

 割り箸(わりばし)とは、箸一本の一部か或いはその片面の全てが連結した構造をもつ木製の箸をいう。読んで字の如く、連結部に物理的な力を加えて本体を割るが故に、そうよばれる日本発祥の食器である。割り箸は、江戸中期の町人生活の伸長と共に徐々に形成された道具(手柄岡持:1735-1813のいう割りかけの箸等)であり、したがって江戸中期以前に於ける懐石・本膳料理などの場で、食膳に添えられる白木の箸(無垢箸)を単にその形状の類似性から「割り箸」だとよぶのは、歴史的事実に基づかない誤認にほかならない。
こうした日本の伝統的な文物について、ネット・アクセス数の多い辞典サイト・ウィキペディアでは、無垢箸までをも割り箸から解釈することが容認され、更にそれが多言語圏の類似文物へ「等価関係」を持たされて、問題が更にこじれている。これまで国内的にあまり意識されることのなかったモノの定義が、インターネットを通じて多言語間でネジれる代表的事例が、この「割り箸」という概念なのである。
例えば、首相が国賓をもてなす晩餐会に用いる箸は、和紙の白箸帯が巻かれた、茶の湯料理で用いられる「両口の無垢箸(卵中箸)」であるが、純朴を隠喩する無垢箸は、上記辞典サイトでは無前提に「割り箸」といったカテゴリーに隷属させられている。江戸初期の茶の湯料理の発生から、元禄期以降の町人経済(外食産業)の伸長とが交渉して、懐石道具が町人文化へと溶け込んでゆく過程を最大限に鑑みても、無垢箸と、そして割り箸とを混同することには、日本人ならば違和感を感じるはずである。
改めて注視すべきこととは、無垢箸と割り箸は、現代日本において「ハレとケ」の関係が辛うじてトレース可能な実例だという点である。そして、このことを日本人自身が認識できていない結果として、以下のような問題が生じている。
この辞書サイトの「割り箸」項に包摂されている様々な種類の箸を見れば判るように、割り箸の定義から類推不能なプラスティック箸などが羅列され、更に翻訳機能を通じて現代中国社会に存在する「衛生筷」や「免洗筷」といった道具と同一視(リンク)させられている。つまり割り箸という語彙は、懐石料理で用いられる無垢箸を、割り箸に脱退換骨せしめるが如く、そもそも茶の湯料理という文脈を持たない中国語圏の人々に、中国社会にある「衛生筷」や「免洗筷」と同一の物体だと紹介されている。「衛生筷」や「免洗筷」とは、常設の店舗よりも衛生環境に劣る仮設の屋台で「衛生」面のみを考慮して用いられる箸を指すが、近世日本の町人文化史を鑑みれば、「割り箸」は中国語では「割箸」と表記すべきはずである。しかし、そうなっていない最大の理由は、無垢の箸を「無垢箸」として理解せず、日本の食文化史上に存在する全ての箸を、「割り箸」へと恣意的に翻訳する、わたしたち日本人自身の文化的意識の頽廃によるものであろう。
ところで、この問題の発生には、近年の文系学者を中心とする東アジア認識法が大きく関わっていることを忘れてはならない。一般に、前近代から存在する歴史的な文物に、「東アジア」といった枠組みを与えて文化論を展開する際、中国という概念を「中心」に据えてから、朝鮮、日本、琉球等を「周辺」に置くという主従関係化が行われ、そこから無制限に伝播論が展開している。
その典型的事例は、 2003年8月に台湾大学歴史学系が主催した『東アジア文化圏の形成と発展』シンポジウムである。このシンポジウムは、既に子安宣邦氏が指摘しているように、東アジアと称しながら、実は「一元的な中国文化圏の別名でしかない」ものであった。もし「東アジア」を語るのであれば、その多元性や多層性に言及しなければ、終始「周辺は中心に包括される」という結論が延々と繰り返されるだけであろう。「中国」を実体化するが故に日本、朝鮮、琉球を周辺に置くといった解釈法は、ゲオポリティーク(地政学)と密接な関係を持つ、文化的領土の包摂の意識と深く関わっている。
ウィキペディアにおける日本語環境の「割り箸」が、表面上その形状だけを以って、中国語環境の「免洗筷」へと直訳されているこの現状にこそ、東アジアをめぐる情報化社会の政治性と、その問題の根深さが表れているといえる

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