2011年4月9日 星期六

「想定外」という語の狡智

中村宏氏は『物と事と生の研究史』(永田文昌堂・1997)に於いて、1955年に特急あさかぜを使った、当時としては最長距離であった東京-博多間での車軸の応力・疲労試験の様子を振り返って、あの時の「研究報告に“絶対大丈夫”ということを書いた。処が2-3年経って一本塵除座が京都-米原間で破損した。その後調査すると、90%以上にきづが入ってい」たと語っている。


氏の語りは、この後に興味深い命題を提起する。いわく、十数年後に計算法を変えてみたら「寿命は3200年から4年にな」り、「昭和43年頃私達が(新しい計算法を)言い出した時は、奇異の目でみられた」のだそうである。


福島の原発問題を前にして、わたしたちは、ここに存在する実測と計算は「異なる」ということばの意味以上の「誤差」が何を物語っているのかを考える必要に迫られる。そもそも、モノの寿命が「3200年」であることを測定できた人など居ないはずなのに、なぜ中村氏たちの計算法は世の中から奇異の目でみられたのだろう。


今ここで、『物と事と生の研究史』を紐解いた「社会科学者」の多くは、恐らく「地震大国」日本の新幹線技術を、車軸という一パーツから支えた研究者の計算法が、台車を「物」の代表に見立て、金属疲労を「事」の代表として、これらを人の「生」から括る構造を有していたことを知って意外に感じたはずである。そして、3200年と4年という誤差は、人が「全て」に於いて答える能力をもっていると信じるか否か、というプリミティブな「ズレ」から生じていたことを、知ったはずである。

   だとすれば、中村氏たちへの白眼視は、まさに現在進行形の「認識」問題を喚起しているはずである。今回の原発問題を前にして、そこで「安全」という語をいとも簡単に発せられる御仁は、まずこの「誤差」の存在について、主体的に思考すべきであろう。

2 則留言:

  1. 昨日ニュースでイギリスの王子の結婚式を全世界で20億人が見ると言っていた。どういう計算をしたのかしらない

    が、数字を語る際にはその考え方の道筋(見立て)と数値を出す際の基礎データが重要だと思う。様々な暮らしをし

    ている異なる民族・様々な世代の「人類」の4人に一人が結婚式を見るとは思えない。こういう20億人などというの

    はデータとは言えない。疲労試験結果から白眼視されるほどのハイスペックを車軸に要求し「絶対大丈夫」と研究報

    告に書きながらも、その結果をどこかで疑い、検証する姿勢は、今回の地震や原発事故で「想定外」などと言ってい

    る人と想像力や意識が全く違う。コンピュータが発達しシミュレーションは高度かつ精密にできるようになってきて

    も、どう見立てるべきなのか、そしてどう見立てたのか、見立てた結果はどう検証されるのかを追及し続けないと、

    「20億人」レベルの数字になってしまう。いずれ明らかになっていくかもしれないが、原発の立地や設計をした人達

    が出していた「想定」とは、技術者の思想からでた想定だったのか、それとも「会社」という営利組織の中ででてき

    た「妥協の産物」であったのかを知りたいと思う。

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  2. 航空機は比較的安全な乗り物だと思うが、私がそう思うのは数々の事故を教訓としたフェイルセーフ(何か間違いが

    あってもシステムや機械側でそのエラーやアクシデントをカバーする)の思想が効いているという事を知っているか

    らだ。原発の安全性とは何であろうか?時空を限定せず様々な事故史実から想像力を働かせ、最悪を想定しそれに対

    するカバー策を講じるというのが安全であるといえる根拠だと考える。人間が作りうる施設の中で安全性のレベルを

    もっとも高度に保つ必要のある原発に対する日本の「安全性」思想は、地震大国の思想としては不十分であると思

    う。すでにいくつかの原発の下には活断層があると調査結果が出ているし、過去数10m級の津波を経験していること

    は調べればわかる東北沿岸に7mの高さの津波までしか「想定」していなかった原発の安全思想とはいったい何か?

    「想定外」という言葉を出すこと自体、お粗末かつ安全思想の信頼性を大きく損なう事であることを当事者達は自覚

    しているのだろうか?たくましい想像力によって原発の安全性を再検証していただきたいと切に願う。

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