2010年12月6日 星期一

「鍋島論語」について

戦後暫くして、花田清輝氏が『葉隠』の語り手である山本常朝にモラリスト像をみたのは、花田氏が述べるような「演壇で立往生するような、しおらしい人間を連想した」からだとは、私には思えない。その真意は、戦後暫くしてこのテクストが「万人に白眼視されながら、孤立無援の状態に陥っている」のを目の当たりにする氏が、丁度「同時代」への反撥に演説台を選ばず、田代陣基という対話者を選んだ山本の方法に、煽動性ではなくして、哲学性をみたからである。言うなれば、戦中の「モラリスト」達が、『葉隠』を利用する演説家を兼ねていた、という「同時代」的問題を露呈させるべく、花田氏は山本常朝にモラリスト像をみようとしたのである。


例えば、栗原荒野の注釈本『葉隠の神髄』(1935年)序文(藤岡長和著)には:「「お家の為め」とは、今日に於ては「皇国の為め」といふに同じく、「殿様殿様」は、「皇室中心」のシノニムである」と記されているが、そもそも『葉隠』の生まれる享保期とは、この栗原注釈本の生まれる「何をおいても先ず是等の犠牲的精神を養ふ事が最大急務であらねばならぬ」ような「非常時の今日」とシノニムではない。(ちなみに、和辻哲郎、古川哲史校訂の岩波文庫版『葉隠』の初版は、「大詔煥発」の前夜1941年9月である)しかし仮に、『葉隠』の「成立時代」が、それほど「非常時の今日」とシノニムであるのなら、何故に時の佐賀藩校弘道館はこれを「国民倫理の教科書」として用いなかったのかその理由について、栗原は「秘書」だからと述べている。しかし当の山本常朝は「只自分の後学に覺え居られ候を、噺の儘に書附け候へば、他見の末にては意恨悪事にも成るべく候間、堅く火中仕るべき由、返す返す御申し候なり」と語っている。なるほど、他見の末にては意恨悪事にも成る」ことを、山本常朝自身が最も憂いていたのであろう。

   ところで、論語が「代名詞」となる、という命題は、古典があれよあれよと
「非常時の今日」認識を以って「シノニム」化してゆく点に生まれる。しかし、論語を代名詞にする古典とは、そもそも時の情勢如何に関わりなく、只管再読されるものを指していたはずである。山本常朝がモラリストであったか否かなど重要ではない。ある古典が、ある時代に「万人に白眼視されながら、孤立無援の状態に陥」るという、この奇天烈な状況自体を問うべきなのである。

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