2009年12月23日 星期三

日本における「市民」について

    もしある国の官僚や機構組織の支配者が、その集団社会に於ける福祉の促成や保存を目的とするのではなく、その減退の為に与えられた職権を行使しているのならば、そのような行為に見てみぬ振りをする人々とは、果たして市民だと呼べるのかどうか?


近年、「市民団体」とかその「運動」というコトバをよく耳にする。しかしここにある「市民」とは、そもそも制度に包摂されてしまう physical な納税者や有権者を指す概念と同等ではなかったはずである。市民による運動とは、国民への共感プロセスとは異質のものである。市民による運動とは、強固な制度・組織への精神的収斂を目標とする組織的運動を指しているのではない。言い換えるなら、それは人々が国家・制度・組織の齎す一切の抑圧に対し、自らをドッケージとして自主的に行う恒久的な働きかけを意味している。


例えば、森永ヒ素ミルク中毒事件(1955)が表面化して間もなく、被害者救済実現への「恒久的な働きかけ」の運動主体(守る会などの組織)が生まれているが、それから十数年を経て、国・森永・守る会という組織三者で「合意」(1973)が得られ、救済事業は現在に至っている・・・。しかし近年、この守る会が掲げた理念を見ると、企業に対する慰謝料要求の放棄こそが「高い倫理性」によるものだと位置づけられ、この選択が「国民的合意」に繋がるのだ、とさえ言われている。被害者の「恒久的救済」を追及するという「高い倫理性」が、何故「国民的合意」に収斂してしまうのだろうか?市民はいまどこに居るのか?そもそも、ここで守る会が述べている「倫理」とは、如何なる主体を指し呼び出される概念なのか?

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