2009年11月11日 星期三

「事故米」報道は何を伝えたのか(最終回):「事故米穀の不正規流通問題」の構造

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   2008年9月5日、即ち事故米穀の不正規流通問題が「事件」として世に報じられる前日、『読売新聞』には:「コメ不足に苦しむフィリピンを支援するため、
輸出国である米国の要請に基づき、日本はミニマムアクセス米の在庫から20
万トンを割安で売却することを決めた」、とする記事が掲載されている
ここには、その翌日から始まる騒動とは次元を異にする、コメ不足に苦しんでいる隣国を気遣う日本の姿が、MA米の売却と共に創造されている。戦後の復興期に、日本も食糧不足に大いに苦しみ、フィリピンと同様の体験を通過していたのだから互恵関係なのだと言わんばかりである。


ところで、戦後から始まる日本の食糧事情と穀物輸入の背景には、米国で1951年に制定された相互安全保障法(Mutual Security Act)に基づき、凶作/豊作認識から切り離される余剰農産物を、正常取引を阻害しない条件下で如何にして締結国の間で移出/入せしめるか、という政治命題が絡まりついている換言すると、黄変米(即ち事故米)が事件化する1954年とは、まさに日本がこのMSA協定に締結する年であったことを考慮するならば、では果たして余剰物資の国際的な移出/入という命題を「無視」してまで、三笠フーズの事故米穀の不正規流通を「問題化」できるのかどうか・・・、国内に向けて「食の安全」を叫び、「消費者の不安」を代弁されるお歴々は、この国際的な「食の唖然」を把握するべく、もうすこし主体的にアタマを動かされるべきではないのか


嘗て長谷川如是閑氏は:「「慈善」はカビの一種だ。それは食卓の余り物に咲く花だ」と述べられている。9月6日、三笠フーズの事故米穀不正規流通は「予定通り」事件化され、近隣国を支援する日本の勇敢な姿は各新聞紙面から消失している。「余り物に咲く花」は単なる「転売」物資であって「援助」物資ではないことが、この度の「事故米穀の不正規流通問題」報道を通じてアイロニカルに実証された・・・、昨年の「事故米」報道とは、ただそれだけのことを伝えたに過ぎない






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