戶倉恆信BLOG
本文のダウンロード1968年と1979年に起きたPCBs中毒事件が悲惨を極めたのは、萌芽したばかりの、未だ固有名を持たない命をめぐって、母親が我が子の出生の「是非」を自問自答していたからである。本節では、二つの油症事件史を辿る作業に付き纏う問題、即ち市民(被害者)が「人として」向き合っている原初的なこの問いに、医者から法律家、そして「救済」を叫んでいる運動家までもが、見てみぬ振りをしている現実を論じてゆく。
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