2012年2月6日 星期一

『わたしの12月8日──日米開戦の記憶』の読み方

1941128日(真珠湾は7日)は、日本海軍がアメリカ海軍の根拠地を奇襲し、太平洋戦争が勃発した日である。毎日新聞は、2010年の同日に因んでわたしの12月8日──日米開戦の記憶』(木村葉子)という企画を組んでいる。そこには当時の満州、台湾、朝鮮で幼少を過ごした人々の「記憶」を紹介している。台湾については、高雄で生まれ育った手島悠介さん(75)が、当時6歳だったこともあり、「開戦の記憶はほとんどない」にもかかわらず、「物産商をしていた父や店員らが「戦争が始まった」と話し、「すごいことが起きる」と感じたのは覚えている」とした上で以下のように記されていた 




開戦後、軍港の高雄には南方に向かう日本の艦隊が次々に入港した。兵士は父の土産物店に立ち寄り、銀の細工品やさんごをふるさとに送っていた。高雄で、日本人は新しくできた町に、旧市街に台湾人が暮らしていた。旧市街の市場に母やお手伝いさんと買い物に行ったこともあるが、台湾人と付き合うことはなかった。「今思えば、心の底でばかにしていた」と手島さん。「申し訳ないことをしたとつらい気持ちが募りますが、当時はわからなかった。」




ここには、開戦に対する記憶が「ほとんどない」ことを、別の記憶で補填するかのように、物事の是非すら「わからな」い
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歳のこども「心の底」が率直に綴られている。この、植民地に生まれ住んだ、こども「心の底」には、当時の周辺地域における、内地人による「当たり前」の位階意識が滲み出ている。しかし、それから一週間後1215日、当該新聞に突如現れるおわび
』記事には何が書かれていたか、全文記そう 

 


8日朝刊「わたし128日 日米開戦の記憶(下)」で、台湾人について述べた手島悠介さんの今思えば、心の底でばかにしていた」「申し訳ないことをしたとつらい気持ちが募りますが、当時はわからなかった」という部分は発言の趣旨ではありません。手島さんの発言の趣旨は、「当時の大人たちの中には、現地の人たちのことをばかにした人もいたかもしれない」「植民地の支配者側のこどもであった私は、整理しきれない重いものを抱いたまま毎日を過ごしていました」でした 

 


一週間前に、こども「心の底」を正直に語った、その本音の「趣旨」とは、実は「当時の大人たちの中には、現地の人たちのことをばかにした人もいたかもしれない」だったのだとし、そして「植民地の支配者側のこどもであった私は、整理しきれない重いものを抱いたまま毎日を過ごして」いたことだった、というのである。だとすれば、手島さんは当初、何に対して「申し訳ないことをしたとつらい気持ちが募」ったのか、わからなくなるではないか。このおわび』が、本文の「趣旨」から齎される、あの最初の「おわび」の意味を打ち消してしまっていることの方が、はるかに「おわび」するに値する歴史認識の問題を呈している。毎日新聞の編集者はこの問題にどう答えるのか

2 則留言:

  1. 6歳だった子供が「大人の中には現地人をバカにしていた人もいたかもしれない」「植民地の支配者側

    の子供だった私は・・」などと当時本気で考えたのだろうか?取材を受けたTさん自身が自らの言葉が

    記事になったのを見て、生まれ育った町や世話になった人を悪く言っているように受け止められると感

    じて「訂正」を申しいれたのかもしれないし、記者さんが言いもしないことを書いてしまったのかもし

    れない。どちらにしても読者である私にとっては、おわびの文は不自然さが鼻につく。開戦の記憶をた

    どる事がこの記事のねらいであれば、当時子供だった頃の記憶とは、大人の世界の何かを見たり・聞い

    たりしておぼろげながら感じた心のざわめきの類であろう。取材される者も取材する者も開戦という過

    去の瞬間にフォーカスして、その時どう感じたかを述べ、記事にすることがルールであろう。現在Tさ

    んがどう考えるかとか、記者がどう思うだとか、あるいは新聞社の考えなどはそもそもそこには入る隙

    はない。しかしながら本文やおわび文を見る限り、記事が史実だけで構成されているのか少々疑問を感

    じる。

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  2. 恐るべき歴史修正主義!

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