2011年4月8日 星期五

油症問題の同時代史的考察(2)

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  カネミ油症事件
の発生は、製油業界に熱媒体の早期転換という課題を突きつけていた。それを考える契機は、1974年5月に築野(つの)食品工業が高圧蒸気による脱臭装置を設置した状況に生じている。

  この、該社の『社史』から篩い落とされることのない当該史料は、当時、農林水産省を介して紹介され、「業界」に新技術は齎された、とされている。しかし、この「史料」が該社の『社史』にだけ取り込まれているのはなぜなのか。それは、言うまでもなく、カネミ油症事件を受け、課題の解決の為には社の内外を問わず、技術家同士が「連帯した」事が賞賛に価したからである。だとすれば、この「業界」という概念の外延は一体何処であったかを問わねばならない。

  さて、これまで日本と台湾の『油症事件史』というテクストを創った人々が、新たな高圧蒸気脱臭装置が普及してゆくこの「史実」に全く関心を示せなかった理由とは何だったのか。糠油を生産する一企業の『社史』に積極的に取り込まれている史料は、なぜカネミ油症の「再発」予防を見つめる人々の篩から終始抜け落ちていたのだろう。

  二つの油症事件は「戦後」に起きている。しかし、「戦後」から事件史を書くこととで何が見失われてゆくのかを今一度認識する必要がある。日本か台湾かを問わず、『油症事件史年表』を書く上で応用される、ポスト植民地主義者の「戦後」問題は、ここから確認できるのである。



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1 則留言:

  1. 最近思うこと。世の中の役にたつ努力あるいは真実に近い情報は、力を持つ誰かが決めた世界の言葉やルールに合わ

    なければ無視・封殺されてしまうのだ、という事。力を持つ誰か(個人か組織)は、真実はともかく、事件の「事

    実」説明と原因や対策のストーリーを描く。つまり歴史的「事実」を作る。この事実は「事実」であるためにその記

    述の修正は作った当人たちはできるだけしたくない。まして真実が歴史的事実と違う事が明るみに出そうになれば、

    黙殺かその追求に圧力をかけるであろう。これは例えば自分が会社でへまをして、言い訳説明文を書いたはいいが、

    真実がその言い訳とは違うことが発覚したときにどんな反応をしうるかを考えてみればよい。立場が下なら黙り込

    み、立場が上なら感情を爆発させ、まわりに「あの話はやめとこう」みたいな雰囲気を作るか、いずれもバリアをは

    るだろう。上の文中の「テクストを創った人達」は、そもそも米油そのものが悪いものではないことは百も承知だと

    思う。しかしながらそれを無視するのは「テクスト」をいまさら書き換えられないからだと、根拠はないが感じてし

    まう。

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