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如上に掲げた短文は、台湾大学哲学科の必修科目「中国哲学史(ニ上)2001年11月22日に挙行」された「試験問題」の一つです。これまで、「格義」という概念を専門に扱った論文の問題構成法では、この設問の如く、ほぼ例外なく典籍を引っ張り出し、そして研究者がこれまで「格義」に対して発した「字義」を取捨選択し、そこから適合するとされる「定義」を確定してゆくというプロセスが辿られていました。本章は、勿論この種の解釈作業を踏襲するものではありません。本章の主旨は、このテストの出題者が「試験問題」作成時に如何なる構図を脳裏に描き、この典籍内容を「問題化」したか、という構成法そのものを考えてゆこうとするものです。「必修科目」という避けては通れない教育「制度」上の要求として、「格義」を問うこととは一体どういう知識を生産することなのでしょうか。それは即ち、「外来」思想の事件性と「固有」思想の系譜を、半強制的に「同時認識」させてゆく歴史認識のプロセスではなかったのでしょうか。だとすれば、この「字義」解釈の当否を問う中間テストには、予め出題者の「固有・外来」思想を識別する哲学の歴史(思想系譜)が織り込まれているはずです。この「試験問題」に措定された「模範解答」とはどういう内容なのか?「格義の問題化」で起きる歴史認識のパラドックスを、実証的に紐解いてゆきます。

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