昨年九月の事故米報道は、ミニマムアクセス(MA)米が「今回の問題」の発生原因だという前提から構成されていた。つまり報道関係者は、予め事故米=「輸入米」という単純な結論を以って、終始「国産米」の不正規流通が俎上に載らない循環論証を行っていたのである。この「市民にわかりやすい」ロジックは、本件に向き合ったいわゆる「識者」と呼ばれる人が:輸入された「汚染米」を「全部返品していれば今回の問題はなかった」という判断を、『新聞』紙上で展開していた事実から検証できる。
改めて述べるまでもなく、事故米=「輸入米」であるといった前提は、政府が「国産米」を備蓄しないという結論がなければ成り立たない。しかし、そもそも日本にそういう法規定が存在したのかについては、わざわざ法典を紐解く必要もなかろう。例えば昨年九月、農水省は「今回の問題」を受け、「制度」改正する方向で検討を始めているが、そこでは「輸入検疫で食品衛生上問題がある事故米は返品するように見直す。国産の事故米が出れば、実際にのり原料として使用する業者だけに販売するような制度に変更する」とされていて、はっきりと「国産の事故米」に言及しているからである。
つまり認識されるべき「問題」とは、政府の改正案を通じて露呈した米取引をめぐる因習に他ならない。だから、「問題」の発生過程をトレースしてゆくには、返品相手国のない「国産米」の諸規格が、生産者の手を離れて仲買いから集散地の問屋や小売商を通過する間に「混淆」してゆく構造を見なくてはならないはずである。
「今回の問題」認識に欠落していたのは、穀物の状態推移は工業製品とは異なって漸変的なプロセスを辿るという知的配慮であり、「ブレンド」という概念が「国産米」の奨励に伴って「規格」認識される相克の関係に他ならない。ミニマムアクセス(MA)米が発生原因だという見解の当否については、本論述を通過してゆくことで徐々に紐解かれてゆく。
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