2009年8月3日 星期一

「事故米」報道は何を伝えたのか(2):安全に満ちた不安を必要とする社会

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九月十六日、農水省は事故米穀転売「問題」を受け、三笠フーズの米穀流通先リストを公表しました。本節では前節に引き続き、流通先リストの公開要求からリスト公表までの報道内容を振り返り、その場に充満していた「用語」を捉えながら、其処に潜んでいる社会的動機を紐解いてゆきます。日本が社会的に抱えている「問題」は、ある「用語」を実体的に操ることのできる主体が、常に漠然とした誰かの代弁者になっている部分にあります。その用語とは、他でもない意味的限定を全くもたない「用語」を指しています。意味的限定のない「用語」の羅列作業、それは「汚染」に対する不安心理の表れであり、そういう「感染イメージ」が発話者の中で膨張を繰り返しながら、「恐れのあるもの全て」を処分の対象に収めようとする作業です。そこでは「汚染」されてはいない対象を限定するという認識手順は通過されることなく、「全て」を処分の対象へと包摂してゆく精神活動が、さも当たり前のように合法化されてゆくのです。


九月十六日,農林水產省為要對應事故米轉賣的「問題」,而決定公開三笠食品公司的米穀流通業者名單。本節是延續上一節的論述,回顧從公開名單的要求到實際公開的報導內容,試圖掌握在此處所充滿的某一些「用語」,進而解開在此潛藏的社會動機為何。日本社會所具有的「問題」是,能夠實體性地操作這「用語」的主體,經常扮演了某群體的代言人。這「用語」所指的,乃是沒有意義限制的「用語」。而羅列沒有意義現制的「用語」的作業,這不外乎是表現出對於「污染」所產生的恐懼心理,這樣的「感染意象」在論者的心理上不斷地被膨脹,而試圖將「可能成為被污染對象的全體」,皆認定「消除」的對象。當然,在這心理過程中,並沒有通過界定不被「污染」範圍的認識手續,因此將此「全體」視為含攝「處分」所有對象的精神活動,也就是理所當然地合法化。

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1 則留言:

  1. 「日本が社会的に抱えている「問題」は、ある「用語」を実体的に操ることので

    きる主体が、常に漠然とした誰かの代弁者になっている部分にあります」という

    指摘に共感します。「世間」という言葉がありますが、漠然とした誰かの代表が

    それです。発話主体は世間の意見に従って事物の善悪判断を下す。そこには発話

    主体個人の言論責任や判断基準はない。自分で考え責任を持った発言をする場合

    と、曖昧な誰かの代弁者で発言する場合では後者の方が発言・行動はエスカレー

    トしやすい。本人は代弁者としての崇高な使命を全うする事を目標に行動し、そ

    の「誰か」の意見が正しいのかどうかの判断はなされないし、発言を受けとるも

    のも曖昧な誰かに反論する訳もいかないからです。発話者が「世間の意見」とい

    う幻想を作り上げれば、人を無理やり動かす事も可能です。私達個人も無意識に

    似た行動をしていることがあると感じます。意識していかねばいけませんね。

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