2009年6月3日 星期三

「モラルハザード/moral hazard」の字義説明

hazard という単語は、一般的に~lightssideや mapの名詞を伴わせる語として、つまり何らかの「危険」を警告する概念として用いられているではmoral hazard”ではどうだろうか日本ではこの用語の片仮名表記に、しばしば「倫理の欠如」という字義説明が施されるが、ではなぜこのような意味が与えられるのか

  moral hazard とは元来保険業界の専門用語であり、これが日本に輸入された頃は、万一の事態という実体的危険に備えるはずの保険が、それへの加入行為によって加入者の危機意識が低下したり、また保険金詐欺等の標的になるといった、「二次的被害」の起きる側面を「注意喚起」する用語であった。つまり、保険業界内で実体的危険に対置する心的危険の関係構図の所在を指摘するべく用いられていた概念が、そもそも片仮名表記されていた「モラルハザード」であり、これを更に「言い換える」ために、わざわざ括弧つきで「倫理の欠如」という字義説明をしていたのである 

   この用語の「言い換え」作業について、山岡洋一氏は2003年4月に国立国語研究所が外来語に対する「言い換え提案」を行った翌日、『新聞』紙上に出現した「倫理の欠如と訳されるモラルハザード」という説明に注目され、保険用語から後に金融用語へと意味的拡張が起きる間に、破綻企業の経営者に対する社会的責任を追及する「日本的用法」へと変質していったことについて評論されている。(山岡洋一『片仮名語の悲惨:「モラルハザード」と職業倫理の欠如』、『翻訳通信』第二期、12月号、2003年)


私は、翻訳家としての山岡氏が拘るこの片仮名語の「原意」認識から、『新聞』記事の書き手なり、また読み手が「中国」や「中国産」認識を行うに際し、moral hazard を(日本的用法へと)「言い換え」てゆく事例を通じながら、そこではどのような「二次的被害」が生産されていたのかを紐解いてみることにした。「中国」への不信感に「倫理の欠如」をイメージしながら、その対岸にある「日本」という自己同一性の画定をせしめるという作業は、実は今に始まったことではないからである(「シナ学」的アプローチがその典型例)。仮にこの種の対他認識を、日本が社会的に抱える病巣であると位置づけるなら、不信感を「中国」へ援用することの問題であるというよりも、寧ろそれによって画定されてゆく「日本」という自己同一性の内部に、この種の思考形態が据え置かれる構造にこそ、根本的な問題が存在していると言えよう

   何らかの責任の所在を、とりあえず自己以外のどこかに画定することで、自己に一応の「倫理」感を回復するに至ると同時に、「倫理の欠如」から免れていると思いこめる、このおめでたい自・他生成作業こそが「モラルハザード」の「日本的用法」だったのである

1 則留言:

  1. 戸倉さんのコメントを読むまでは元々の意味などは知らず、モラルハザード=倫

    理感の欠如という意味だと思っていました。言葉が本来使われていた意味と違う

    用法で用いることはよくあることですが、あえてカッコ付で新たな意味を付与す

    るのは、いずれそのカッコをとって、モラルハザードという言葉を新しい「イメ

    ージ」でマスコミは使うつもりなのかと推測します。ただしイメージであり、そ

    の本当の意味は読者にはよくわからなくてもかまわないのでしょう。「中国のメ

    ーカーは倫理観に欠いている。またそれを指導する立場にある政府も倫理観に欠

    いている」と直截的に表現してしまうのには、中国がいるからためらいながら、

    同じ事を別の言葉で暗に非難しているのだと感じます。ある社会組織内(日本)

    でしか通じない言葉であり、これは隠語の類ですね。



    中国メーカーの製品によって健康被害等が発生しているならば、その原因や発生

    の構造を追求し、対策を講じさせるような働きかけが大事です。その事象の原因

    を「倫理観の欠如」というレッテルで結論付ければ、何の解決にも結びつきませ

    ん。なぜならもし本当に「倫理観の欠如している」相手ばかりであれば、何を言

    っても無駄だからです。



    事故や問題が起こった場合は、現場でタイムリーに現物や事象を冷静に観察、多

    くの関係情報から、原因が何であるかを正しく分析しなくてはいけません。記者

    や新聞社の主観で「多分そのように感じる」とか複数の事件から一種の結論を導

    くのは、報道ではなく、意見であり、ある思想の宣伝です。



    中国は日本に比べ貧富の差が激しく、その反面非常に安い物作りができており、

    その恩恵に世界はあずかっています。日本も例外ではありません。製品の欠陥や

    不良は客先である日本も中国に対して堂々と言わなければならない事です。ここ

    で、「倫理の欠如」だのを持ち出すと「言っても無駄」になり何の進展もありま

    せん。報道の目的は、本当に安全な製品を中国メーカーに作ってもらう契機とし

    ようとしているのか、中国を差別や非難をしようとしているのか、判りません。



    問題の根本解決までに至らない、正しくないレッテル貼りは日本・中国双方にと

    って何の意味もないばかりか、害しかないことをそろそろ報道機関は自覚すべき

    でしょう。

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