「メラミン汚染事件」が起きてから設定された、該物質に対する国の基準値については、既に食品安全委員会等のHPで公表されている通りですが、基準値の成り立ちを考えるという意味では、そこには顕在化されていない根本的な問題が存在しています。それはつまり、食品添加物ではないメラミンを敢えて「食品添加物」というカテゴリーに入れなくては「取締り」ができないような制度「認識」が既成しているということであり、食品添加物ではないメラミンが、この制度「認識」の存在によって「食品添加物としてのメラミン」に変質させられることです。
まず、制度を理解してゆく上で必要となる知識とは、乳幼児用調整乳へのメラミン汚染によって、中国では乳幼児の死亡と健康被害が報告されていますが、一般食品の消費者(つまり乳幼児以外)の死亡や健康被害は報告されてはいないということです。したがって、(未熟児を含む)臓器発達中の乳幼児が「耐えうる」一日摂取量(Tolerable Daily Intake:「一日耐容摂取量」と訳される。以下TDI)が、如何なる「科学的根拠」を基にして算出されるのかが問題となります。しかし、誰のために既成しているか定かでない如上の制度「認識」を無条件に措定すれば、乳幼児のメラミンに対する「何の影響もない数値」に言及する際においても、「食品添加物」に使用される「可」摂取量/日(Acceptable Daily Intake:「一日許容摂取量」と訳される。以下ADI)という概念を以って「TDI」から言い換えなければならないという、まさにプライオリティの転倒が起きてしまうのです。だとすれば、この種の解釈法が一体「何」に加担をし、そして如何なる事件「認識」を齎すことになるのかについては思考されるべきでしょう。(注意:本稿の上編の注23で既に触れていますが、メラミンの市場取引価格から判断して、成分偽装に使用される「メラミン」とは、純正品ではないという粉飾行為の成立条件を考えれば、当然ながら事件「認識」には慎重にならざるを得ないはずです。)
私が危惧するのは、そもそも食品添加物ではない「メラミン」(擬似的代名詞)の過剰摂取によって起きている事件を、「ADI」という概念から再認識してゆくことで、あたかも「食品添加物」の過剰摂取によって起きた「事故」が「メラミン汚染」事件である、というような命題を無意識のうちに生産していないのか?ということです。つまり、この「メラミン汚染」を「TDI」から理解するのと、「ADI」から捉えるのとでは、事件への「認識」が根本的にどう異なり、そしてどのように実体化されてゆくのか?・・・ここで改めて「認識」問題を喚起させてゆく背景には、追究されなくてはならない「ある一つの事柄」が存在しているからです。「基準値」論争は何を語ったか:「メラミン汚染」報道から考える(下編)では、その事柄の「意味」を理解してゆくために、FDAの公告内容を基点としながら、克寧(KLIM)・雀巣(Nestle)と金車(King Car Food)公司の「事件」対応を考察してみることにします。日本の識者が日本のメディアに向けて発信していた建議内容の「意味」が、そこから明らかになってくることでしょう。
私が危惧するのは、そもそも食品添加物ではない「メラミン」(擬似的代名詞)の過剰摂取によって起きている事件を、「ADI」という概念から再認識してゆくことで、あたかも「食品添加物」の過剰摂取によって起きた「事故」が「メラミン汚染」事件である、というような命題を無意識のうちに生産していないのか?ということです。つまり、この「メラミン汚染」を「TDI」から理解するのと、「ADI」から捉えるのとでは、事件への「認識」が根本的にどう異なり、そしてどのように実体化されてゆくのか?・・・ここで改めて「認識」問題を喚起させてゆく背景には、追究されなくてはならない「ある一つの事柄」が存在しているからです。「基準値」論争は何を語ったか:「メラミン汚染」報道から考える(下編)では、その事柄の「意味」を理解してゆくために、FDAの公告内容を基点としながら、克寧(KLIM)・雀巣(Nestle)と金車(King Car Food)公司の「事件」対応を考察してみることにします。日本の識者が日本のメディアに向けて発信していた建議内容の「意味」が、そこから明らかになってくることでしょう。
ADIとTDIを同義とする論もありますが、食品添加物など食品中に残留しう
回覆刪除る化学物質の許容量(ADI)と食品に混入してはいけない汚染物質の耐用量
(TDI)は明確に分けて使用すべきだと思います。メラミンはたんぱく質増量
偽装のために使われた、食品用ではない汚染物質です。中国衛生部もメラミ
ンの乳製品への添加は違法と明言しています。日本ではメラミンをADIで捉
えたり、取り締まりのためとはいえ「食品添加物」として扱う事をこのコラ
ムで知り、理解に苦しんでいます。うがった見方をすれば、(憶測ですが)
メラミン「添加」の違法行為は、以前より少なからず行われ、その現実を知
り、原料乳製品をゼロリスクにできないがゆえに、あたかも食品添加物のよ
うにしてしまおう、基準値までも変えてしまおうとする経済的な意図を感じ
ます。私個人の妄想であれば良いのですが・・。
先般のコメントで「メラミンはたんぱく質増量偽装のため」と書きましたが、誤り
回覆刪除でした。メラミンはたんぱく質そのものを増量させる効果はありません。たんぱく
質の測定法は一般的には食料や飼料中の窒素量を測定し、それに係数をかけて換算
する方法がとられています。たんぱく質そのものを測定しているわけではないの
で、窒素を多く含む物質(今回はメラミン)を混ぜれば、たんぱく質計測結果を誤
認させることができます。この計測方法を取る限り、メラミンを取り締まっても他
の物質で代替される恐れは多分にあると思います。また「経済的な意図を感じる」
とも書きましたが、次回コメントより、もう少し詳しく「メラミン混入の動機」と
「メラミンをADIで捉えたり、基準値を2.5ppmにしようとする動機」について推
察してみます。いくつかの情報を基にした私個人の推論であり、検証されたもので
はない事をまずお断りしておきます。
"【メラミン混入の動機に関する推察】
回覆刪除・メラミンが乳製品に混入された。
→なぜ、メラミンを混入したのか?(ここではメラミンの混入者を原乳供給者とし
ています)
・たんぱく質の成分を高く出したかったから。
→なぜ、たんぱく質の成分を高く出したかったのか?
・何度もたんぱく質の成分が合格せず乳業メーカーから返品をくらったから
→なぜたんぱく質の成分が規定値まで届かないのか?
仮説1)要求される価格で納品しようとすると、水で薄めないとやっていけないか
ら(畜産維持費や他経費が高くなっている)
仮説2)乳牛の栄養が足りずにたんぱく質成分が規定値まで行かないから
仮説3)乳業メーカーの規定が厳し過ぎるから
仮説4)うまくいけば成分偽装で水増しした牛乳を高くで売れるから
などが動機として考えられます。私は今までメラミンを乳製品や原乳に混ぜていた
と思っていました。その例もあるようですが、中には飼料にある物と混ぜておけば
乳牛から出す牛乳のたんぱく質が増えるし、またばれにくい、というケースもある
ようです。以下はメラミン混入の背景を考える上で参考となるブログです。簡単な
話ではない事がわかります。
http://ivanwil.cocolog-nifty.com/ivan/2008/11/post-23e8.html
"
【メラミンをADIで捉えたり、基準値を2.5ppmにしようとする動機に関する推
回覆刪除察】
先のコメントや参考ブログ情報を見ていただいてもメラミン混入は、企業や畜産農
家のモラルとかのレベルではなく、中国社会の急激な発展の中で起こった構造的問
題といえます。中国政府も法整備や取締りを強化していますが、根絶には時間がか
かるかもしれません。しかし重大な健康被害発生による乳製品等の国内外での流通
停滞のために、産業界も打撃を受けており、早急な判断と解決が必要です。本来は
厳格な基準を設けて取り締まるべきでしょうが、それがすぐには難しいために、
2.5ppmで「安全宣言」をしなくてはいけないジレンマを感じます。中国に進出し
ている大手多国籍食品メーカー乳製品の「安全宣言」は、製品の安全宣言にとどま
らず、国際的権威による安全宣言として、中国政府や中国乳業メーカーが拠り所と
する意味もあると思います。
さらに戸倉さんご指摘の通り、日本でもメラミンが食品添加物の一種のようにADI
で捉えたりする動きがあります。これも日本の「食」が中国に負うところが大きい
ために、急いで「安全宣言」をせざるを得ない背景があるものと推察します。
今の食品は生鮮品であろうと加工食品であろうと化学物質の助けなしには生産や流
通ができません。その化学物質の濫用による健康被害を防ぐために法律整備・使用
基準設定がされています。消費者は妥当性のある基準設定と正しい管理がされてい
るものと信じるしかありません。しかし今回のメラミンでは基準値の設定やその取
り扱いにおいて、十分な議論を避け、「安全」という結論を急いでいる感を受けま
すし、もし本当にそうであれば食の安全保障政策に疑義を抱かざるを得ません。
食の問題解決には多くの情報収集と共有化・各方面からの活発な議論が大事かと思
いますが、方針決定に際しては会社や学校と同様、一部の人で決められているでし
ょう。十分な情報収集や議論をせずに方針を決めると、組織を誤った方向に進ませ
る危険性が増えます。政策決定の立場にいる・あるいは政策決定に影響力を持つ人
達には、十分な情報収集と議論をしていただき、誰のために・何のためにを良く分
かった上で、判断・決定をしていただきたいと思います