2009年4月2日 星期四

「優良誤認」について

昨年七月十九日、『毎日新聞に「BSE問題」に関する一つの政府対応が掲載されたその内容は、厚生労働省が食品安全委員会ではなく公正取引委員会に照会を求め、その回答として:「「検査済み牛肉の方が安全だと思わせる表示は、商品が実際よりも優れていると不当に誘導する『優良誤認』に当たり違法」との回答を得た。「検査済み」のみの表示は「消費者の受け取り方次第なので即断できない」(公取委消費者取引課)という」ものである。


ここでの問題は、この公式見解が一体何を「表現」しているのかということである。ここには二つの論点が意識してアイマイにされているとはいえまいか。つまり、そもそも法的に安全な食品を「安全」だとする意味はないということを、ここでは「優良誤認」だとしているのか、或いは「検査済み」の食品を「安全」だとする根拠はなく、「検査済み」だから優良だとの誤認を招きかねないとしているのかが、腑分けされずに情報発信されている問題が存在している


前者が指す事柄は、「科学的な結果認識」を行った厚労省の緩和措置にその判断が依拠するのだから、食品安全委員会の答申に根拠を持つ「コンプライアンス」に属する問題として取り扱うことが可能である。しかし、厚労省のこの「科学的な結果認識」を裏書とする「法的に安全な食品」を「消費者の抱くイメージ」に先行させる為には、それ相応の「オピニオン」を形成するための、論争が通過されなくてはならないはずである。ただし、そのような社会的基盤が現在の日本にあるのかは大きな疑問である


一方後者の場合、論旨は「検査済み」なのだから「安全」だ、とする因果関係化にある為、その関係は取引で必要となる評価の条件を満たしていないという内容を指す事になる。では私たちは「食の安全」という概念に言及してゆく際、どのような「知識」を根拠にすればいいのか、という問題が再浮上してくるのである。そこに待っているシナリオとは何なのだろうか『記者の目とは何か(下)』を参照

 


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