2009年1月9日 星期五

「記者の目」とは何か:ウナギの「偽装」報道を通じて(下)



下編のダウンロード



    上編では、産地偽装が「
事件」となる場合、本来ならば偽装という「行為」がそれを構成するのであって、その場合における「産地」はこのイカサマ「行為」に利用された単なる材料に過ぎないということを述べましたしたがって空間的概念としての産地を「反社会的行為」と混同させてゆくためには、行為「以外」の規範を通過させて「産地偽装」というコンテクストに掛け合わせる必要があるのです
そこで下編では、「国産」ウナギ等への「偽装」では、この偽装に使用された「産地」が『新聞』でどう扱われていたのかを検証しつつ、オピニオンで問題化されている「食の安全」が、国民に対する「安全」保障の必要性から執拗に語られ、そして情報の発信・受信が繰り返されてゆく中で、科学的な知識に収斂され得ない認識対象へと再構成されてゆくプロセスを紐解いてゆきます。


対外的な「危険」認識が実体化している社会では、食品に対して実施される「検査」のもつ意味とは、究極的には検査によって「しか」安全の差別化を図れなくしてしまうということです。しかし、其処に待ち伏せしている結末とはどのような状況なのでしょうか。そして、そこに一定の規制が「制度」として関与してくる場合、結果的には一つの循環論に支えられた「ブランド」が生産されるのです。本稿は「食の安全」という事実の総体がいかに構築されてゆくのか、そこではなぜ「産地」がまず先に問題化されなくてはならないのか、その思考原理を考えてゆきます



下編のダウンロード

沒有留言:

張貼留言